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花嫁 14

空気は生暖かく、季節の匂いが一切無かった。

夜だと言うのに、漂う花の香。

何時も咲き乱れる花の香は甘く、腐臭に似ている。

空に懸かった二つの月は、今日はそのどちらもが肥えて満ち満ちていた。

 灯りが不要なほどの明るい夜。

二つの月は白けた光でもって、この欺瞞と虚飾が織り成す世界を照らしている。

 屋敷の端近へ女が一人、足音も立てずに姿を現した。女は双子月を仰ぐと、誰にともなく呟く。

「何故じゃ・・・・・・」

能面に似たその横顔に表情は無い。だが声には明らかな苛立ちが含まれている。

「何故、動かぬ。何故、まかり通る」

 何故。何故。何故。

まるでまじないのように呟きを繰り返す。女の問いに答を返すものは、居ない。

しばし沈黙した後、女はかすかにその口角を上げた。

問いの答えは、自ら探さねばならぬらしい。

 ならば。

動かぬと言うのならば、自らが動けばよいだけのこと。淀んだ水は、動かされて初めて濁る。

何と容易いこと、と、女は今度こそ明らかに笑んだ。

「さて・・・」

肥えた月が照らす世界は、女にはひどく醜く映る。

なんと歪み穢れていることか、と。嫌悪の眼差で辺りを一瞥する。

 早く正さねば。

このような穢き場所に、わが愛し子をいつまでも置いてはおけぬ。

 早く。

 早く・・・。













 御簾越しに漏れてくる明るさに眠りは訪れず、千尋はとうとう床を抜け出した。

なんという明るい月夜なのだろう。

驚いたことに、この世界には月が二つあり、今日はそのどちらもが満月だった。

そっと辺りを伺いながら、外へと向かう。

常であれば、狭霧がまるで影のように付き添ってくるはずだが、しかし今日は珍しいことに姿を現さなかった。

いささか気になったが、これ幸いとばかりに千尋は表へと出た。

 「わあ・・・」

屋敷を囲む草原に出ると、一人千尋は空を仰ぎ、感嘆の溜息を漏らした。

この世界の夜は、千尋にとって恐怖でしかなかったが、それすら忘れさせるほどの光景であった。

月の光にその濃さを溶かされたかのように夜の闇は薄く、水墨画のような世界が眼前にあった。

 まるで、この世のものではないかのような白々しい世界。

そう、ここは千尋の知る世界ではない恐ろしい異世界だ。

 出来ることなら、一刻も早く逃げ出したい。

 母と父に会いたい。

 元の世界に帰りたい。



 けれども。



 月から視線を外し、千尋はその場にうずくまった。組んだ膝に頬を埋めて、ゆっくりと溜めた息を吐き出す。

もう、それだけではいられない。

あの青年に対する自分の思いが、恐怖や嫌悪だけではない事を知ってしまった。

 いや・・・。

それを凌駕する感情が、自分の中に確実に育っており、それを刈り取ることは最早出来そうも無い。

 知らなければ良かった。

 何も知らなければ、良かった。

吐息に感傷が混じり、切なさとやるせなさで胸が詰まる。息が、苦しい。

この世界の空気に混じる彼の哀しみで肺の中が満たされて、千尋を侵してゆくようだった。

絶望に似た感情の名前を、口にすることは出来ない。叶わぬ夢を語るようなものだ。

いつしか涙が零れ、頬を伝う。

声を上げずに、千尋は静かに肩を震わせ続けた。

 「何を泣く?」

幾筋かの涙の跡が頬に出来た頃、低い囁きが耳をかすめた。顔を上げると、ごく間近に端整な顔立ちがある。

 「なんでも、ない」

気遣わしげな翡翠の双眸から眼を背け、千尋は呟く。

しかし、青年は震える小さな肩へと手を伸ばすと、そのまま己が胸へと抱き寄せて瞳を覗き込む。

「そなたの涙を見て、私が正気でいられると思うのか?」

そんな風に泣くのであれば、まだ怒っている方が良い、と辛そうに眉根が寄せられる。

「ずっと私を泣かせてきたくせに・・・良く言うわね」

苦笑まじりの口調には、言葉ほどの棘がない。それが一層青年を焦らせ、抱きしめる腕に力を込める。

「そうだ。だから私以外のことで泣くな」

 愛しい。

 憎い。

 愛しい、愛しい、愛しい。

体の触れあった部分から、叫びのような感情が伝わってくる。

なんと傲慢で、勝手で、そして不器用な人なのだろう。己のこと以外ではすばらしく器用なくせに。

その器用さそのままに、もっと上手く騙して、欺いてくれればどれだけいいであろう。

そんな風に彼を思えれば、この腕を振り払えるのに。

 けれどももう、知ってしまった。

彼の中の哀しみや寂しさの大半が、自分に起因することを。

知らない振りは、もう出来ない。

覚悟を決めなければ、己の未来を決めなければ、いけないのだ。

 そっと、千尋は青年の背へ腕を回した。

びくっと大きく身を震わせ、青年は弾かれたように抱いていた体を離すと、信じられないものを見るかのような表情を浮かべて、千尋を凝視する。まるで、何かを見定めるかのような。

眼差しが重なると、千尋は頷いて微笑んで見せた。

「千、尋?」

恐れと不安とが入り混じった問いに、また、頷く。

 言葉は要らなかった。

ただ眼差しに、己の思いを込めて見詰め合えばいい。

伸ばした腕で、互いを抱きしめあえばいい。

落ちてくる唇を受けながら、瞳を閉じる。

言葉は、要らなかった。

by mak1756 | 2012-09-17 00:13 | ハクセン


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by mak1756

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